20210817_ファクトとロジックその先に

 

<追記事項_20210811_ファクトについてでさえ「争い」がある…>

 

 歴史学は「一次的な史料」を何よりも尊重する学問だと思うのですが、どうも「官製」の「一次史料」は、ある意図をもって一部が消されたり、書き替えられたりする場合が多いようですね…他の「私製」の一次史料と突き合わせて検証する必要がありそうです。

 

 それに、ひとりの歴者学者が把握できる史料には、当然、限度があるでしょうし、いくら

史実が論理に優先すると言っても、どうしてもその歴史学者自身のロジックが前提になってしまっている面は否めないと思います。

 

  裁判ではそのことはむしろ当然でさえあって、事実とは、両当事者間に争いの無い事実か、両当事者が立証し、裁判官が合理的な疑いを差し挟まない程度の心証を抱いた範囲でしかない…

 

・ 事実はそれだけではないかも知れない。

・ 事実はそうではないかも知れない。

・ ましていわんやロジックをや…

 

<追記事項_20210809_ファクトとロジックと…人間性>

 

 ファクトに拠らず、ロジックも通らない議論には与しない。(与しない…相手にしない。否定も肯定も敢えてする必要もない…必要なら…必要最小限のファクトの提示と、ロジックの飛躍や矛盾を提示しさえすればそれで良い…)

 

 しかし、そんなことより、もっと大切なことは、そのファクトやロジックの根本にあるものが、そのファクトやロジックの先にあるものが、人間性(ヒューマニティ)であるどうかという点にあると思います。

                   ヒューマニティ(人間性)

              ロジック

         ファクト

 ヒューマニティ(人間性)

 

 ただし、「人間性」と言っても、唯一無二で絶対的な「人間性」は、無い。多元性も人間性のひとつだから…。「生きる」ことを絶対的な前提にすることさえ…。それを「人間性」だと「信じる」ことにおいて、ファクトもロジックも無い、のかも、知れない。

 

 極端に言えば、1億人の人がいれば1億人分の「人間性(ヒューマニティ)」があるのかも知れない…少なくともそのひとつひとつに「耳を傾ける」のでなければ「人間性(ヒューマニティ)」なんて成り立たない…

 

*「人間性(ヒューマニティ)」…「正当性」と言っても良いんです。「正しい」とその人自らが信じることならそれで良い。何が「正しい」かは「絶対的」なものCではなく「相対的」なものです。「強制的」ではなく「共生的」な…

 

<以下原文>

  

1.ファクトやロジックに基づかない議論には与(くみ)しない。

 

 筆者にとって「聞くに堪えない」ことは、事実(ファクト)に基づかないことや論理(ロジック)が通らないことです。たとえば、いわゆる「ディスる(事実と論理を無視した誹謗中傷の類)」ことは、その典型だと、筆者は思います。

 

 日常生活や日常会話の中には「事実に基づかない」ことや「論理の通らない」ことのほうがむしろ多く、それでこそお互いに「成り立っている」のかも知れませんが、少なくとも人事の実務ではそうは行きません。

 

2.「争いのない」ファクトを積み上げる…

 

 何が「事実」なのか、「事実」関係そのものに「争い」が有るのか無いのか、もし「争い」があるとしたらお互いに「証拠」を示して、お互いに「争い」の無い事実関係をふまえて「論理」的に議論するのが、裁判でも人事でも共通の原理だと思います。

 

 また、事実は断片的や部分的なもので満足してはならず、自分に有利な事実だけを取り上げ、自分に不利な事実を無視したり隠蔽したり無視したりしてはならないと思います。(裁判にも「証拠の両面性」があるし、人事はそもそも基本的に「争いごと」ではないので。)

 

3.「信頼性」と「妥当性」と「納得性」の高いロジックを繋ぎ合わせる…

 

 争いの無い事実(ファクト)をある程度積み上げたら、次に「それをどう評価し、判断して、結論や解決や提案につなげるか」という論理(ロジック)を積み上げる(重ね合わせ、繋ぎ合わせる)ことになります。

 

 何をどう評価し、判断するかは、お互いの目的観や価値観や経験則によって違う(「共有化」しにくい。事実とは違って「争い」が尽きない。)だろうと思いますので、その絶対的な正否を問うのでなく、相対的な信頼性と妥当性と納得性を求め合うべきでしょう。

 

 信頼性 … 何度考えてもそのとおり。

 妥当性 … 誰に聞いてもそのとおり。

 納得性 … 本人の思いもそのとおり。

 

4.ファクトとロジックで解けることと解けないこと

 

 さて、人事労務上の諸問題の多くは「ファクトとロジック」で解けます。当事者間の争いの無い事実関係に、労働諸法令の目的と価値と趣旨と内容を当てはめれば、たいていの問題は解決します。(それが出来ないのは「ファクトとロジックの詰めが甘い」からです。)

 

 しかし、筆者が「それだけでは解けない」と言っているのは「その先」のことです。たとえばそれは「感情」であったり、「政治」であったり、そうでなくても「理解」「納得」「共感」「協力」であったりします。

 

5.(参考例)人事評価におけるファクトとロジック

 

 人事評価においても「ファクトとロジック」に基づく評価が基本だろうと思います。ただし評価者が観察しえたファクトが常に客観的で必要十分であるとは限らず、評価者によるロジックが常に偏りや誤りの無いものであるとは限りません。

 

 評価者に対する信頼観(=評価に対する信頼感)とは、評価におけるファクトの確かさとロジックの適切さ、そもそも、評価者のファクトとロジックに対する謙虚さ(自分が見誤り、考え違いをしているかも知れないという畏れ)、評価に対する謙抑性でしょう。