<追記事項_202108016>「こころは資本」
「からだは資本」と同時に「こころは資本」です。こころを壊してしまってはまさに「元も子もない」のです。自分自身のこころだけではなく、同時に、同僚や家族や友人や…「働く」上で関わる人たちの「こころ」を壊してはならない。
1.仕事をする上での健康のバランス
「仕事をする」上でまさに「健康は資本」です。「健康」を損なっては「元も子も」ありません。「体の健康」と「心の健康」に加え、これらを土台(両軸)に「仕事への意欲や動機付け」を保つことが「仕事をする」上での原動力です。
2.体の健康を保つ
「体の健康」を保つ方法に特別なものはなく、食事・睡眠・運動を含む生活習慣の改善向上以外にありません。良識と責任ある職業人・社会人として、常日頃から「体の健康」を日常的に自己管理すべきでしょう。
3.心の健康を保つ
「心の健康」に関して、筆者は企業の人事労務の仕事に長く携わり、多くの人々のメンタルヘルス上の問題に関わって来ましたので、その経験をふまえて、「自分自身のメンタルヘルスを保つポイント」のいくつかを紹介します。
① どうしようもないことで悩まない
過去に生じたことはいくら思い悩んだところでもはや「どうしようもないこと」です。自分の心が過去へのネガティブな思いに向かいそうになるのを自覚的に「引き留め」て将来へのポジティブな思いに向けるべきです。
また、自分が思い悩んでいることは、別の(自分自身以外の)立場や観点から見たり、あとになって振り返れば、実は「何でもないこと」や「どうでもよいこと」が多いものです。そのことに自分が早く気づくことも重要です。
「健康の秘訣は忘れることだ」とも言います。「悪いことは忘れる」ことを習慣にしいると言う人もいます。「忘れるように努力する」「やり過ごす」ことも時には必要です。「全ては時間が解決してくれる」という諦観も必要です。
② 過去に向かって自分を責めない
人の性向は「自罰(責)的傾向」と「他罰(責)的傾向」に分類でき、自罰的傾向が強すぎると自分の心を傷つけてメンタルヘルス上の問題じ、他罰的傾向が強すぎると人の心を傷つけて対人関係上の問題を生じやすくなります。
人の体も心も傷つき易く癒え難いものです。特に心は水面に浮かぶ薄膜のように傷つき易く、またその傷が自分からも他人からも見え難いので、気付かないうちにいつの間にか深く傷ついていることが多いものです。
自分の言動や態度が人を責めてその心を傷つけようとすることに早く気付き「手を止める」べきであるのと同じく、自分の思いや悩みが自分を責めてその心を傷つけようとすることにも早く気付いて自ら「手を止める」ことが必要です。
③ 自分の心の状態に気付く
次のような症状のうち、少なくとも最初の二つの症状のいずれかを含む五つ以上の症状が二週間以上続く場合には「うつ病」と判断され、専門医の診療が必要であるとされています。(米国精神医学会診断基準DSM‐3)
・憂うつで沈んだ気持ち
・興味や楽しみが失せる
・食欲や体重の変動
・睡眠障害
・話し方や動作の鈍化またはイライラ
・疲れやすく気力が低下
・自己否定や自己呵責
・集中や決断ができない
・希死念慮(死ねば楽になる、死にたいと思う)
<追記事項_20210609>
ときどきは、自分の心がどんな状態になっているか、立ち止まり、振返ってほしい。いつの間にか自分の心が、上記のような状態になっているかも知れません。それに気付いたら、早めに、身近な専門家に相談して下さい。
4.仕事への意欲や動機付けを保つ
「できるだけ良い仕事をしよう」と自分自身を動機付ける(Y-theory)のと、「できるだけ仕事をしないで済ませよう」と自分自身を動機付ける(X-theory)のとでは「仕事をする」ことの意味や価値は百八十度異なります。
しかしながら「仕事をする」ことを取り巻く現実は、そうした意欲や動機付けを削ぐ要素に満ちているようにも思えます。人間関係やコミュニケーションの問題、仕事が計画的に進まないなど様々でしょう。
多少の「不満要素」や「阻害要因」があっても、それに屈して意欲や動機付けを損なってはなりません。そこを何とかやり繰りし、上手く付き合い、折り合いをつけながら、プラスの動機付けを自分で保つ以外にありません。
<追記事項_20160716>Work と Life は、本来、矛盾も対立もしない。
Work Life Balance という言葉には、あたかもWork と Life がお互いに矛盾・対立するような語感がありますが、本来は、Life のための Work であるはずで、その Work が逆に Lifeを損なうようなら、まさにそれこそが「自己疎外」です。
しかし、現実には、Work を Life の必要最低限の範囲内に意識的に留めようとしないかぎり「Life のための Work が逆に Life を損なう」事態は、多いのだろうと思います。むしろそのほうが、「人間的な Work」なのかも知れません。
なぜなら人間は、「明日のより良き Life のために Work する」こともできるし、「他者のより良き Life のために Work する」こともできるから。自分の生命を「犠牲」にしても、人類の平和のために働くことができる人がいる…。
ただしかしその「犠牲」は、少なくとも、自己に強いることがあっても、他者に強いることがあってはならないのだろうと思います。もう少し言えば、まるで他者に強いるのと同じように自己に強いることがあったはならない。
つまり、自己破綻に至るほどには、そうとは気付かないうちに、それを自己に強いてしまってはならないのだと思います。ですから、そうした、自己統合性を失するほどになってはならない、という意味だろうと思います。
因みに、ストレスコントロールの観点から言えば、①それが自己コントロールできるかどうか、②それが周囲のサポートを得らえるかどうか、です。(高名なカリスマ経営者などは、両者を満たしえた、幸運な人たちなのでしょうか…?)