Unique_一義性

1.一義的Uniqueであることの「分かり易さ」

 

 一般に「分かり難い」話や文の特徴のひとつは、「言葉が一義的Uniqueでないこと」です。つまり同じ意味のことを言ったり書いたりするのに、言葉をあれこれ言い換えてしまっては「何を言っているか(何が書いてあるか)」分かりません。

 

 また「何について」話したり書いたりしているのかという「テーマ」や、「何が重要か」という「ポイント」が揺れ動き、「一義的Uniqueでない」場合も、「何を言っているか(何が書いてあるか)」分からない状態になってしまいます。

 

 また一般的に単純Simpleであることは分かり易く、複雑Complexであることは分かり難いので、例えばひとつの文Sentenceにいくつもの意味を盛り込むのは分かり難く「一文一意」を習慣化すべきです。

 

 さらに、曖昧Vagueなことや抽象的Abstractなことは分かり難く、事実に即して明確Definiteに、かつ身近な例をあげるなどして具体的Concreteに言ったり書いたりすることも分かり易さのために必要です。

 

 その他、事実と意見を峻別し、お互いに事実は事実として(もし認識の相違があれば確証を挙げて証明し)共有化した上で論点(意見の違い)を明確にして話をしないと「訳の分からない」議論になってしまいます。

 

また、ときどき「1+1=2」という「数理」や「AならばBである」という「論理」を無視(少なくとも軽視)したような話や文に出会って当惑することがありますが、少なくともビジネスコミュニケーションでは通用しません。

 

   × 分かり難い話や文 ⇒ ○ 分かり易い話や文

 

  同じ意味なのに違う言葉を使う。 ⇒ 同じ意味なら同じ言葉を使う

  テーマやポイントが不明確 ⇒ テーマやポイントが明確

  一文多意 ⇒ 一文一意

  曖昧 ⇒ 明確

  抽象的 ⇒ 具体的

  事実と意見の混同 ⇒ 事実の共有化、論点の明確化

  1+1=2という数理を無視・軽視 ⇒ 1+1=2という数理に則る

  AならばBという論理を無視・軽視 ⇒ AならばBという論理に則る

 

2.独自性Uniqueの確立

 

 新卒の応募者が自分の能力を発揮したい」「自分の可能性を試したい」「自分らくありたい」と言って採用されながら、その後3年も経たないうちに半数が退職してしまうという現実に、筆者は違和感と納得感を同時に抱いています。

  

 そもそもたった2年から4年の専門教育を受けただけで自分の能力や自分の可能性や自分らしさが発揮出来たりするほど、実務の世界は甘くないし、そうした幻想が3年も経たずに破たんするのはある意味で納得です。

 

 資本主義が「資本の原始的蓄積過程」を必要としたのと同様に、法律的には「労務に服して賃金を得る」存在に過ぎない一人の労働者が、職業人として自己を確立するのに、少なくとも10年以上の「知的資本の原始的蓄積過程」が必要なのは当然です。

 

 その後、自分を育ててくれた組織を出て独立起業しても「最初の3年は食えない(生活さえ成り立たない)」と言われるのはどの業界・業種でもほぼ共通的な常識で、それを回避するにはよほどのパワーとスピードが必要です。

 

 「組織の歯車で終わりたくない」と願うなら、実は「組織の歯車」であるうちに、自分自身を深耕Cultivateして、組織を中から支配するか、自分をUnique(無くてはならない存在)にして組織と対等の立場に立つ力を得る以外にありません。

 

 そして「深く耕すには幅が必要」です。企業の中で自分自身を深耕Cultivateして自分「らしさ」や「可能性」や「能力」というUniqueに現実的に達するにはStandardという広大な基礎や教養や修練の幅が必要なのです。

 

 自分自身を深耕Cultivateするタイプ(スタイル)には「I(アイ)型」「T(ティー)型」「V(ヴイ)型」があるなどと一般的に言われますが、筆者は「逆ホームベース型(基礎をしっかり、先端を鋭く)」が最も好ましいタイプ(スタイル)であるように思います。

 

 最初のN年(いくら少なくても3年以上)は基礎の修練に徹すること、そこからさらに+α年かけて自分自身の問題意識という掘削機を手に、自分自身の「能力」や「可能性」や「らしさ」を現実のものにするための深耕Cultivateを続けて下さい。  

 

<Uniqueであることと協動的であること>

 

 Uniqueであること(独特の、独自の、また、いわゆる「自分らしい」こと)であることと、協働的(および組織的・社会的)であることは、決して両立しないことではないし、そうであってはならないことだと、筆者は思います。

 

 両者が一見矛盾もしくは対立して見えるとしたら、それは、いずれかが未熟である証左で、ちょうど、個人の尊厳と公共の福祉が、また基本的人権と民主主義が、一見矛盾もしくは対立して見えるのが両者のいずれか(いずれも)が未熟であるのと同じです。

 

 「組織や企業で仕事をする」ということも、個人と組織や企業が矛盾もしくは対立して見えるかも知れませんが、組織や企業とは本来、個々人が何らかの人間的・社会的な目的の達成や価値の実現を行うための協働体であり、両者が本質的に矛盾・対立するはずがありません。

 

 本質的には両者が矛盾・対立するはずがない(そうさせてはならない)し、そうであるのは両者のいずれか(いずれも)が人間的・社会的・歴史的に未熟である証左です。Uniqueであると同時に協動的であることは、両者が成熟することで初めて実現可能であるはずです。