20220525記
…人事評価は「難しい」と、多くの人が言いますが、なぜ多くの人が「難しい」と感じるのでしょうか…以下、それを「解く」鍵のひとつとして…
1.評価者も被評価者も、自己評価を優先しているから
「人事評価は他者による評価だ」と割り切ってしまえば、ずいぶんと「難しさ」から免れる。もし人事評価に「自己評価」を採り入れるなら、「他者評価」との違いを、どちらが「正しいか」ではなく「なぜそうした違いが生じるか」という視点で反省すること。
統計的に言えば、「自己評価」は「他者評価」より概ね2割ほど高い。いわゆる「若くて優秀」な人ほどその傾向が強い。だが人によって両者の隔たりには差がある。「自己評価」が極端に低い人もいる。「自己評価」と「他者評価」は概ね一致するのが良い。
2.評価が「正しく」なければならないと思い込むから
場合によっては専門的訓練を経た裁判官と厳格な手続きによる裁判でさえ、無実の人に極刑を強いる「間違い」があるのだから、専門性も手続きもない一般企業の「人事評価」に「正しさ」を求めるのが無理。
せめて、人事評価の目的を限定し、評価者・被評価者、評価の要素や項目、評価のルール、評価を何に反映するか、を限定すべき。その上で評価が「正しい」かどうかでなく、評価が「フェア」かどうか、評価に信頼性・妥当性・納得性があるかを評価すべき。
3.知ろう・見よう・聞こう・分かろうともしないから
そもそも人事評価の対象業務や対象者について、評価する側が「知らない」「見ない」「聞かない」「知らない」「分らない」では、人事評価は「難しい」どころかむしろ「不可能」だと言うべきです。そうした評価者は制度運用から排除すべきです。
また、よく言われる人事評価のルールのひとつは「評価者は自分自身を評価の基準にしてはならない」というものです。敢えて言えば、人事評価は「組織」的な視野や知見のもとに行うべきであって「個人」的な視野や知見のもとに行うのは無理であり困難です。
4.肯定も承認もせず、褒めもせず、叱りもしないから
自己肯定や自己尊厳が、自己生存と自己保全とともに、人間にとって根本的に強固で重要な欲求であることは言うまでもないが、人事評価においてより重要なことは、それが評価の対象者にとっても、より強固で重要な欲求であるということです。
「評価者自身を評価の基準にしてはならない」という教訓は、言い換えれば「評価者が自己を肯定するあまりに評価対象者を否定してはならず、評価者が自己を尊厳するあまりに評価対象者の尊厳を侵したり、損なったりしてはならない」ということです。
5.人を動機付けようとせず、育てようともしないから
「評価」と「評判」の違いは、その対象者から内発的で前向きな動機付けを引き出そうとしているかどうかの違いであり、その対象者の成長を促進・支援しようとしているか否かの違いです。
「だからこそ人事評価は難しい」のかも知れませんが、「難しい」かどうかより、に、評価者自身が、上記1から5について、意を尽くしているかどうかです。「評価は難しい」と言いながら、実は評価の前に自ら為すべきことを惜しんでいるのではないか…。
6.人や組織に「こうあってほしい」と期待しないから
誰でも心の中には自分自身について「もっとこうしたい」とか「もっとこうありたい」という思いを抱いているはずです。(「今後もこのままが良い」という思いも、肯定的に
受け止めて良いとさえ思います。「だから何もしない」というのでなければ。)
人と組織のマネジメントをあずかる人たちであれば、そうした思いを、自分自身に対してだけでなく、人と組織に対して思うはずです。「もっとこうしてほしい」「もっとこうあってほしい」という思いです。
お互いに、そうした思いを重ね合わせ、力を合わせて実現していくことが、実は人事評価であり、目標管理であり、組織管理そのものであると、筆者は思います。「部下をどう評価するか?」の前に「部下に何を期待するか?」です。
<補足>
「子ども𠮟るな来た道だ、年寄り笑うな行く道だ」という言葉は、「自己中心的」にではなく「自己反省」的に人を見よという教訓だろうと思います。「人事評価」を適正に行おうとすることは、評価する側の反省と成長につながります。